#57

#56 で指摘された「謝り癖」について,結構な著名人の方が「ついつい謝ってしまう」という話をどっかで見たような気が......と記憶を辿りに辿って辿り着いた.

タクシーの運転手さんに「すいません」と開口一番言ってしまう,とか「させていただきます」という言い回しとかについて,eri さんが「主体性の欠如みたいな......」と語り始めたときにギクッとした.対等にあなたと(話しますよという態度では無い)という趣旨のことも仰られていた.

自分というハリボテを動かしているような感覚が常態化していて,それはストレスからの解離の点で自分を守る行動ではあるのだけれど,主体的であることとは随分遠いように思われる.いやこれだけ世の中がとち狂っている中でマトモに取り合っていると心が持たないし,今の身分が半分くらい修行僧なのもあるんだけど,主体的でない態度の危うさも同じだけ際立ってきている.

「わたしなんかどうせ」と「どうせこの状況なんて」はこの点においてほぼ同義だなあ.

主体性の無さということを気にしてみると,ミーティングでこう発言したんだから本職を頑張ろうみたいな気持ちになる,その点はすごく良かった.余計な仕事は増えるかもしれないし,発言の如何に関わらず言うべきことは言うべきではあるかもしれないけど,相乗効果があるかなと.

それと怒りの貯金をしておいたらいいんじゃないかっていう話になって,これは結構良さそうだなということで,何かしらメモにまとめておくとかしてみます.アイデアに繋がるかもしれないし.

何か面白そうなことを考える自分を肯定してあげられてなかったな,それはさっき書いた「私なんかとどうせ」という気持ちと不可分なものである.なんだか負のスパイラルに陥っていたな,なんとなく気付いてはいたんだけれど.