#80

10/n

レスリー・カーン『フェミニスト・シティ』を読んだ。

原著を読もうと思って放置しているうち訳本が出てしまった一冊。自分の研究関心に近いせいで特に印象に残ったのが、女性のアクティビティパターンは複雑であり、余計な交通費を支払っているという指摘(p.54-55)。ここでは女性とされており、主夫業をしている男性もまた同じ課題を抱えているはずということに注意する必要があるが、持てなかった観点だった。アクティビティパターンの複雑性を明示的に取り扱う研究は、これ とかこれとかがある.

本書は、インターセクショナルなアプローチには政策決定者の多様性が必要であると同時に、都市に関するあらゆる構造的な問題をデザインで簡単に解けるという幻想を捨てて、地道に考え続けるしかないことを改めて教えてくれた。自分が都市学の授業を持ったとしたらこの本は紹介したいし、社会基盤や都市を設計をする者として、インターセクショナルなアプローチを忘れてはならないということも盛り込むだろう。

 

10/n

映画: マイ・ブロークン・マリコを見た。

漫画だと成立していた表現が映画だと違和感があり、映画と漫画のリアリティラインが違うということが如実に出ていてストレスが残る映画だった。また、原作の荒々しい言葉遣いや喫煙、やさぐれに対し永野芽郁は可愛すぎたように思う。窪田正孝も顔小さすぎだし。しかし、原作を一読しただけではわからなかったマリコのどうしようもなくめんどくさい女っぷりが、奈緒が演じることで非常によく伝わってきた。それに原作は遺骨を盗むシーンが印象的すぎて後のシーンがそれに勝らなかったのだが、映画だと遺骨でひったくり犯を殴るシーンが強烈であり「あぁ、死んだマリコを犠牲にして生きている目の前の女子高生を助ける、“それでも生きていく” “生は続いていく”という話なのだな」とそこでようやく理解できた。マキオに目もくれず駅弁を書き込む姿からも生は続いていくということがわかる。それに独り言がいちいちデカいのが映画だとシィちゃんのヤバさを際立たせており(漫画ではそこまででもなかった、リアリティラインの差だろう)、ヤバい女とヤバい女の共依存関係の物語であるというのが、より伝わってきた。総じて原作に対する解像度が上がったという点においてのみ良い映画だった。ちなみに私はこれを女友達と観に行ったのだが、そのあと2人で海を見に行った。どうでもいい話をして、その日に映画を観たという事を帰る頃には忘れてしまっていた。

 

10/n

日本に一時帰国していたKさんとご飯。大きな解くべきテーマがあり、それに対して使えるデータは使い、使える分析ツールは全部使うというスタンスは清々しくもあり、地力の強さを感じる。奈良時代からの金利のデータは夢があるし、西洋占星術も昔の妖怪も人間の規範の表象であるから研究と無関係ではない。人の活動を相手にしている限り、あれもこれも研究のヒントになりうるのだろう。

 

10/7

季節外れの寒さと冷たい雨の一日。昼の3時くらいから既に暗く、寂しい。

 

10/n

ウェイク・ワン『ケミストリー』を読んだ。博士課程の時に読んでいれば慰めになっただろうか。簡素な文体と漫画的な場面展開が非常に馴染み、読了まであっという間だった。私的オールタイムベスト小説は安部公房『他人の顔』とイーユン・リー『千年の祈り』の「不滅」なのだが、どちらも過不足のない正確な表現、硬質な筆致で書かれている。イーユン・リーは英語なので訳がそうなっている、ということに留意する必要があるし雑な括りであるが、理系の人の書く小説という感じで、非常に馴染みが良い。実際2人とも医学系の学位を取得しており、(それが文体に表れていると結びつけて良いかわからないが)納得感がある。ウェイク・ワンも公衆衛生学の博士号を取得しているので、どうやら理系の(特に人を研究対象とする)バックグラウンドを持つ作家にハマりやすいようである。ただ森博嗣はそんなにハマらなかったので、単に文体が論理的であるのは要素ではなさそう。モチーフの問題か。

ウェイク・ワンの他の著作について、短編があるようだが未翻訳であるので、気長に待とうと思う。作家読みしたい作家が増えてよかった。

 

10/n

Nさんとご飯。思えば学部2-3年の時はちょっとでも興味があればなりふり構わず話しかけたり連絡先を交換したりイベントに参加したりしていた。黒歴史といえば黒歴史になるのかもしれないが、その時の繋がりが未だ続いていたりすると、軽躁的なコミュニケーションも悪くはないと思えた。専門の話はもちろんしたのだが、2010年頃の「スーパー高校生」を取り巻く環境とか、3.11と大学受験とか、同時代性の確認が発生し、印象に残っている。ドメスティックすぎないコミュニティをいかに作るかが、若手には求められているのかもしれない。

 

10/n

2ch生まれニコニコ育ちのインターネット者なので、善くあるためには、自分の内なる某ゆき的思考と戦い続けなければいけないことに気づく。

 

10/n

浪江・大熊に出張.不安ですかと聞かれると不安だと答えてしまう,その声を拾って風評被害が形成される,という地元の人の声が印象的だった.地元の人の持つ復興したいという前向きな気持ちがあるのに対して,極端な人口減少地という点において先進地域だと勝手に位置付けてテックがどんどん入り込もうとしているのも現状であり,テック先行ではなく,地についた課題に寄り添うためにテックがあるべきだと思う.原発事故からその後の復興まで,つくづく工学者としての倫理が問われる場所だ.しかし,帰還困難区域を縦断する小高から大熊に向かう県道35号沿道の風景は,まだらに紅葉した森とススキが陽光に照らされて,立ち入りを防ぐバリケード越しにキラキラしていた.

#78

何かと盛り沢山な1ヶ月だったのでまとめ.U先生に「助教の9月は忙しいよ」と9月に入ってから言われた.もっと早く教えて欲しかった.

 

9/n

有志の研究会でやっている研究セミナーを初めて主催.香港とケンブリッジの研究者をweb上でお呼びした.有志の研究会なのでHPもなく,得体も知れない集団だっただろうにも関わらず快諾いただいた先生方には頭が上がらない.そもそもちゃんと来てもらえるのかという不安から始まり,何としてでも面白くしなければならないというプレッシャーがあったが,討議に入っていただいたO先生に大いに助けられ,研究会のメンバーに助けられ,会は終了した.

研究室には理論モデルを作ってトイモデルを動かして挙動を見たいという人と,モデルを作ってパラメータライズして現実を推論したいという人とがいると思う.私は圧倒的に後者の方なので,データの特異性とモデルの特異性がある研究をされている方,というめちゃくちゃ大雑把な括りで声をかけた(単に私が話を聞いてみたい研究者だったのだ).思いもよらなかったデータを使って機械学習で解くのだが,機械学習を使うことに妥当性もあり,やっぱりトップの人は色々解けているのだな……と感じた.自分で能動的に選んだこともあって,精神衛生も非常に良かった.これを機にコネクションが出来ればとも思っている(HPも早々に作りたい).ケンブリッジも香港も行きたいですね.

 

9/n

学科の必修授業=合宿の引率.久々の合宿形式だったこともあり感染症対策など多方面に気を遣う必要があったので来年は無くなっていることを祈る.

私個人として「あなたの思う"京都"をスケッチしてきてください」と言われた時,有名な寺社仏閣とか祇園の街並みとか着物を着て街を歩く人を描いているようでは全然ダメで,バスに並ぶ長蛇の列とか地蔵盆の痕跡とかを切り取らなければいけない.1%くらいの人しか気づいていないであろう観点を探し,考え,提示しようという姿勢が,研究も含め何か作るにおいては重要だと思う.教員になった当初は,エスキスする学生全員にそうした姿勢を求めており,まあ,あけすけに言ってしまうとみな工夫がなくてどうしたものかと思っていた.しかしながら最近は,平々凡々な人の真面目な営みによって日々の生活は回っているということに気づき,平凡だが真面目で几帳面である(個人的には工学はある種の几帳面さが求められていると思う)だけで十分評価に値するのであり,こちらをアッと驚かせるような提案をする学生は50人いて1人か2人いれば万々歳なのではないかと思うようになった.

実際のところは,いくら全く想像だにしなかった切り口を提示しても,複数の課題を解けていないと見向きもされないのが難しいところだと思う.一方,難しいからといって学生に求めないのは教員の怠慢だと思うので,そうしたattitudeは提示し続けたい.ただ,私がそれを本気で言ってて実践しているのか学生から常に厳しくチェックされている(特に弊学の学生は厳しい)ので,言行一致,虚栄も何もない生き方が結局ベストなのだと思い知らされる.

 

9/n

学会の全国大会で京都に.当日明朝,耳の激痛で目が覚めたため,発表はなんとかこなしたものの聴講や交流の余裕もなく東京に即帰宅.帰る前にちゃっかり伊勢丹でランチしたのだが,美味しかったのに全然集中できなくて悲しい.

東京帰還後,即耳鼻科にかかったところ38℃の発熱が判明.抗原検査は陰性だったものの外耳炎の診断を受ける.抗生物質ロキソニン,点耳薬を受け取り大人しく休むものの全く回復せず,数日後セカンドオピニオンで別の病院にかかったところ中耳炎も併発していた.体力の衰えを感じるとともに,耳は大事にしようと誓い,骨伝導イヤホンを購入した.

 

9/n

ACT-Xの2022年度採択者がリリースされ,無事に採択されていた.通って一安心.これでまだ研究が続けられるぞ!

 

9/n

行動モデル夏の学校2022でレクチャーと研究発表,エスキスをした.学生の時からも含めると6回目の参加になるが,初めてのエスキス側の参加だった.それなりに見ているのでわかるのだが,皆意欲的で,スライドの完成度も高く本当にすごいと思う.自分がエスキスした班は一歩及ばずなところがあったが,最終発表で努力の痕跡が見えたのが印象に残っている.機械学習と行動モデルの融合は,Eric Pas Prizeを見てもトレンド(?)なようなので,アーリーアダプターでない以上今から参入するのは気が乗らないが,しっかりと論文を読んで距離感を測るべきだと感じた.

研究発表については初出しでまだ論文化もしていない内容だったので,この段階で良いコメントをもらえてよかった.毎回思うが師匠でもなんでもない若手なので新ネタをおろす気概が大事.

運営の面では,託児所も導入したり,動画による提出を要件としたりチャレンジが色々あり新しく導入した試みは概ね成功だったように思う(学生のオペレーション能力がマジで高い,凄い).一方で,開催日程は平日の方が先生方の負担も少なく,海外の招待講演もオファーしやすいはず.また,基調講演が白人男性あるいは日本人男性ばかりなのも問題なので,来年は女性研究者あるいは非白人研究者に声をかけるべきだろう.

個人的な話にはなるが,高名な先生方が基調講演で昔話をする際に男性だけで集まって飲みに行った時の写真を大抵スライドに掲載するのだが,その度に疎外感を感じて辛いものがある(私は女性だしお酒も全く飲めないので).ホモソーシャルなノリと会話がそこでなされていたのかは写真から推論できないので断定はできないが,前時代的な光景には間違いない.自分の世代はそうでないコミュニティを作れたらと思う.

 

9/n

某学会の予稿を投稿.他大学に比べて少ない方ではあるものの教育とか学務とかに時間が取られる中で,如何に研究を進め論文を書くのか?という大学の若手研究者のほとんどが抱えるであろう問題がこれか...... といった感触で,いい練習になった.

 

あわあわしているうちに涼しくて過ごしやすい気候になっており,冬学期の予定をまとめているうちに,これから来る季節が楽しみになっている.いい9月でした.

#77

出張で岡山〜直島〜豊島に行ったのでそのメモ書きを

岡山

地下街がそれなりに発達している。地下に地上のバス停のサインがありパスタ的な役割をもっているが、サイン改善の余地はある。駅至近のイオンという立地は、車もつけやすく流行りやすいのだろう。

両備バスの事務所の通りは作り込まれていて、PTとPPを使った道路空間の再配分を行なっているらしい。ストリートファニチャーと植栽が軽やかで良い。特にベンチは2010年っぽいデザインであったのに対して街灯は半減期の長いデザインになっていたのが印象的。

西川緑道公園は川縁の舗装になどは作り込まれてはいないとものの水と川縁との川の距離が近いのが大きな特徴。アートセンターの広場は川に面するように作られていて親水空間と一体を成している。途中でペーブが変わる。コンクリートにしておくか石畳にしておくかでかなり表情が違う(当たり前ではあるが)ユーザビリティの観点からは石畳の方が良いがコストがかかるのが難点.

大通りの断面構成は、路面電車・3車線・自転車置き場やバス停留所・自転車レーン・歩行者道となっており、都市デザイン的な工夫がしやすそうである。自転車置き場のスペースでヤマトが荷捌きを行なっており、面白かった。

前川國男の設計した天神山文化プラザは彼らしいモダンな建築だが、柱が比較的細く、天井面も黄色に塗られているおかげでピロティーが軽い印象に仕上がっていた。中の使い方はもう少し何とかなるのではないか。

バスタ的機能は岡山駅から少し離れた天満屋にある。天満屋自体は地名ではなく百貨店の名称である。百貨店+ターミナル という構成は地方都市によく見られる構成なのだろうか?不勉強だが、いわゆる駅まちの現象に近いのではないだろうか。

豊島

豊島美術館(2回目)最高以外の何物でもない.水を含んだようなしっとりとしたコンクリート材の印象が強く,建物全体が巨大な水のようだ.来訪者が我々しかいなかったので本当に静かな時間を過ごすことができた.生成される水を見て,人は生きて死ぬのだという陳腐な感想しか出てこず,ただただ水を眺めていた.コンクリートシェルに守られているという安心感が風と木々のさざめきを心地よくさせていた. 唐櫃方面からアプローチするあの10%の海に飛び込むような坂道の風景から既に,美術館の体験がスタートしているのだと思う.

#76

カウンセリングで受けた診断結果が出たのだが,どうにも「素直すぎる」のが諸々の根幹にあるらしい.普通の人なら感じる違和感や嫌な感じをスルーして,まずは一旦受け止めてしまう傾向にあるとのことだった.

自己認識は不真面目で面倒くさがりだというにも関わらず,真面目すぎると他人から評されることも多い理由が分かった気がする.

その結果に驚いてこうしてブログに書き込んでいる行動からして既に「素直すぎる」性格が出ているのだと思うが......とにかく驚いた.素直すぎることもあり診断結果は書面では渡さないと判断した先生も素直にすごいと思った.

#75

2022年4月号の土木学会誌で「Allyにつながる途」と題した特集を担当したのでその感想.

一番力を入れたのはアンケートだった.取りこぼしている属性はないか,戦々恐々としながら設計をした.英語版も作成し,とにかく回答する人がいなくとも全ての人のためのアンケートであるということが伝わればいい,そういった心持ちで設問を考えた.アンケートに答える時,自分のような人間は想定されていないのだろうな,という疎外を感じたことがある.そういった思いを誰にもさせたくなかった.

タイトルも編集メンバー全員で捻り出したものだが,Allyという言葉を使ってはどうか,と思い切って提案してみた.Ally という言葉を使うことの重みがあるので,緊張はもちろんあったが,マイノリティに対して取るべき態度を示すのに一番適していると考えてのことだった.森さんの原稿があがってきて「Allyはなるものではない」との主旨に再び背筋が伸びた.他者に簡単に求められるものでもなく,自ら行うには困難な言葉ではあるが,そういった考え方があるのだと知って欲しい(私も知った)という思いだ.

特集を作っていく過程で,何度もストップを出した.本当にそれでいいんでしたっけ?ということを何度も言った.でもそうしたことが言い出しやすい空気があったのは確かで,他の編集メンバーの人徳というか人柄に支えられたと思う.こういう雰囲気を持ったチーム作りができるように尽力したい.

リリース後は,ポジティブな反応を多くいただいた.LGBTQ+の当事者の方にも届き,よく考えられているとの声に心からホッとした.学会誌という性質上土木学会員しか読めないのはもったいないのでweb公開してはどうかというコメントもいただき,是非そうしたいと思ったが私の管轄ではないのが残念.

反省点としては土木そのものが孕んでいる植民地主義的態度については触れられなかったことである.英国土木学会(ICE)のアンケートではICEの歴史における植民地主義に対する認識がない,という指摘がある(https://www.ice.org.uk/media/2bmddjpv/fir-survey-racism-in-civil-engineering.pdf)土木業界の中にいると「土木をもっと魅力的に見せなくては」という声は大きい.土木事業が持つ原罪性であったり,過去の負の遺産について論じられなければならなかったのではないかと思う.

また日本の土木学会自体,大学だけでなく大手ゼネコンやコンサルなど土木事業において上流にいる人でほぼほぼ構成されており,現場で汗水垂らして働いている人は,アンケート含めてほぼ参画していない歪さに対する自覚とアクションが足りなかった.難しいのは確かだが,土木学会員の身の回りだけが土木業界ではない,ということはもう少し強調されるべきだったはず.

 

追記(2022/9/28)

実施したアンケートについて,土木学会全国大会で発表を行った.土木業界と言っても様々な業種が存在することから業種別の差別経験や意識の集計があっても良いというコメント,具体的なアクションプランへの展開についてのコメントを頂いた.

#74

4月末に研究合宿に行ったのでそのメモ書きを.

1日目

ターミナル駅における空間の作り方としてSRCでスパンを飛ばすやり方がある.コンコースの作り方は東西軸・南北軸をいかにして通すかが重要.金沢西口駅前,バスとタクシーバースの屋根がやや重いか,富山駅前の方が軽やかであった.表面を木貼りにして工夫していたが2010年代っぽいと後に評される可能性もあり,半減期の長いデザインの難しさを知る.

金沢市内は鞍月用水を訪れる.鞍月用水は犀川から取水しており,水量が多い.近世の築城の際に建設されたとしているが詳細の年代は不明.水車の動力源でもあり日本第2位の製糸工場を動かしていた.近世の遺跡が近代化に資するというのが面白い.

鈴木大拙館,人を黙らせ,静かにさせる空間のつくりって確かにあると思った.青紅葉に映り込む水面の煌めきが美しい.それは水盤に1人静かに向き合っていないと気づかないことでもある.時折水が動いて波紋ができる.波紋のゆらめきもまた静かさを助長させている.

2日目

北前船の里資料館.北前船が衰退したのは単に鉄道網の発展だけではなく,電信が発達することで物価の相場がわかってしまい,差額で利益を得ていた北前船のビジネスモデルが成立しなくなったためだという記述が非常に面白かった.現代においても情報がある領域を衰退させていることがあるだろう.非常に示唆的だった. 山中,山代の土地台帳取って道後と比較して研究したい.特に山中は街の中心に総湯があり道後と構成が似ている一方で昭和6年に大火があり,道路の拡幅など空間構造は大きく変わっている.道路拡幅と土地所有の変化,新陳代謝の違いが見られると面白いのだが如何せん予算がない......

3日目

富山の月岡で列車待ちの間、通り雨がパラパラと降ってきて、電車に雨粒が当たる音がかえってしんとした静けさを引き立たせていて美しかった.

借地・借家で土地を手放さなかったことで、外側に町が広がっていって衰退した。車に対して都市形成史をやるのは難しい。茶屋町みたいにテーマパーク的につくってしまうのも手だが…… 復興にせよ,こうした在郷町の再興にせよ,産業がないのは辛い.国土論や地方の立地適正化の肝は産業をどのように誘致するかによるのだと思う.そう思うと,企業の立地パターンというのが非常に重要で,都市モデルでは欠かせないのだろう.

富山はすごくいい雰囲気だった.駅の作り,新幹線と在来線の建物のつなぎが非常に妙があって,屋根をかけるだけでも一体感ができる.JRの駅舎に対してフラットにLRTが挿入されているのもよかった.中心市街地の作りもかなりセンスが良くて,何かしなくとも良い空間があるように思った.何かしなくとも良い空間にいられるというのは都市生活者の特権ではないか.モータリゼーションの進展はドアトゥドアの生活を可能にしたが,働くこと,家庭のこと以外の余白を限りなく減らしてしまった.職場では仕事を抱え,家でも役割を求められる生活者にとって,何かの役割を課せられていない時間は,その人に与えられた自由の時間でもあり,生存を助けることもあろうと思う.富山の中心市街地にはそれがあった.私がなんとなしにピアノを弾いたら子どもが駆け寄ってきてピアノを弾いた.活動の連鎖がそこにあった.若者がなんとなしに溜まっている光景がその証左だった.

セイファースペースを作ろうという話だが,私がやりたかったのはこれだったんじゃないかとも思う.セーファースペースとは,疎外感を感じている人同士が集まって疎外された経験について話し合う場所のことを指す.街に疎外されている感覚はある人にはあると思うし,実際に排除されている人もいる.本当はそういう人たちのためのスペースを,都市を作りたかったんだなと振り返って思う.そのためのストックをもっと持てるように都市を見るべきだったなとも.少なくとも今日の富山にはそれがあったと思う.

#73

『私ときどきレッサーパンダ』をみた.

きっかけは主人公のメイのビジュアルが,小6くらいの私自身の自己認識と一致していて「私の登場する物語かもしれない」という興味と期待からだった.結論からいうとめちゃくちゃ面白く,私にとって大事な一本になった.

まず,メイの友達のリアルにいた感じで少し涙腺が刺激された.あの「いたいた!」というキャラ造形は『あたしンち』以来なんじゃないか.『あたしンち』じゃなくてグローバルなPIXAR でしかも住んだことないトロントでそういった感覚を与えてくれるってすごいことなんじゃないかと思う.物語の中に「私たち」がいるという感覚にこんなに勇気づけられるもんなのかと驚いている,と同時に,描かれまくってきた他の属性が羨ましくもあった.みんなこんな映画体験してたの?

だから批評よりも,この映画を見た時の自分の心の動きを大切にしたいと思った.

私自身絵を描くタイプのオタクだったし,私の親も,私の趣味を許してくれなかった時期があったのでメイに共感するところがあったけれど,描写のディテールが生々しすぎて初見の前半45分は心ここにあらずだった ナマモノ創作親バレに加えて御本尊凸や,プレゼンしても無駄だからバレないようにこっそりチケット代を稼ぐシークエンスは叫び出したいくらいのリアリティがあった. (実際私も親に黙って東京の即売会に行こうとしたことがバレて,とんでもなく叱られたことがあったのでハラハラしっぱなしだった)

そうしたハラハラから後半は急転直下して泣きまくりだったので,情緒がジェットコースターになる映画なのだ. 特に泣けたのは,メイの父親がメイに語りかけるシーン,メイのママが泣きながら感情を吐露するシーンで,この部分は何回観ても涙腺が緩んでしまう(思い出しただけでも緩むレベル).このシーンはメイのママに共感してしまい,そう,うまくやれない私も私なのだとそう責めないでよかったのだと身につまされるのだ.

ネットを見るとメイのママは毒親だという見方もあるようだが,私はあまりしっくりきていない.メイが家族を大事にする気持ちは抑圧もあるだろうが本心でもあるし,家からの離脱はまだまだ世間的に守られる立場である13歳には流石に酷だと思う.確かに家から逃げる可能性については提示されなかったけれど,作品を通して感じられるローティーンのハイテンポコメディーにはそぐわなかったんじゃないかと.メイがもう少し大人だったら他の可能性はあったと思うが.

もう一つよかったのがメイキングドキュメンタリーだ.劇場公開されなかったのは本当に残念だが(ラストのシーンは映画館映えするし),本編を見た後すぐにドキュメンタリーにアクセスできるという点においては配信のメリットがあると思う.PIXARの仕事場が本当に楽しそうでそれだけで泣きそうだった.綺麗なところだけが映っているのだと思うが,こういう働き方ができればいいと思うし,監督のようにいい雰囲気のチームを作りたい.妊娠中の女性,女性同士カップル,思春期の子どもを育てる家庭,いろんなライフステージのいろんな生活が当たり前にあって皆働いていることにエンパワメントされた.

監督,この映画の企画が始まった時,私と同い年くらいだと思う.天才はいるな,と思う反面.映画とドキュメンタリーが教えてくれた,完璧でなくとも支えあいながら生きていければいい.