#7

日記を書いてはいるのだが,ろくすっぽにリズムに乗り切れず,前回から10日ほど空いてしまった.今日はいくつかある落ち込みのパターンについて話をしたい.

最も落ち込んでいるときはベットから起き上がれない.体が重たいとか言われるのをよく目にするけども,私の場合は,骨組みに皮膚が張られただけの張子になってしまう.例えば,目の前にある指に動けと念じるんだけれど魔法じゃないからピクリともしない,布団の布に触れているはずなのに感触がない,といった風に重さよりも実体の無さゆえに動けない.身体同様に思考も中空で,洗面所までの道のりが遠く,どう行けばいいんだっけ…で思考が止まってしまう.同じ姿勢をずっと続けているからか,やがて首から上の痛覚が戻ってきて,頭痛の前触れになってようやく張子から骨の軸を持つ操り人形になって,この段階が終わる.ベッドサイドの頭痛薬を飲んでしばらくすると動けるようになる.私はこの一連の状態を「自然発火の風船張子」と呼んでいる.風船内の火種が発火し,上昇気流に従ってふわりと動くのを待つだけである.

その次にひどいのが,昼間が怖いパターンだ.最初は明るいのが怖いのだと思っていたけれど,どうやら人の生活があるのが怖いらしい.当初は1日の負債を取り返すように夜中に活動していたが,これを続けると本当に昼間に活動できない人間になってしまい,恐怖との判別がつかなくなるので夜中に起きて活動することはなくなった.だいたい明日は改善していますようにと願いながら眠剤を飲んで眠るが,残念ながら翌日改善しているパターンは少ない.何らかの外的圧力でやむなく外出する際は「自分以外の人が生きていることを認識したらゲームオーバーとなるゲーム」を始める.「恐怖の感情は6秒しか持たない」と心の中で唱えながらお笑い芸人のラジオか,ゲーム実況動画かの人の笑い声に集中しながら玄関のドアを開け,外に出たら肌に触れる風,湿度,空,光に意識を向けつつ大通りを避けて歩く.腕の産毛が立っているのを気にしながら,今日はストックホルムの夏のようだと思いながら歩いていると幾分マシになってくる.ここまでくれば傍目から見ても昼間が怖い人でないだろう.私はこの精神状態を「イクラ食べれないモード」と呼んでいる.イクラの一粒一粒を「鮭の卵だ」と認識すると,卵を突き破って稚魚が一斉にワラワラと出て来るイメージが想起されて恐ろしくなる.誰かと話しがてらであれば食べられることの応用である.